常福寺資料館 | 浄土真宗本願寺派 明徳山 常福寺

常福寺資料館

今となっては資料も乏しく由来の不明なものもありますが、分かり次第説明を追記いたしますのでお楽しみ頂ければ幸いです。※何か情報をお持ちの際は是非お教えいただければ幸いです。

常福寺境内

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2009年9月10日、鐘楼堂改装の為に建てられていた足場より撮影。
2010年1月に石碑や灯篭を移動させ、さらに庭を一部こわして駐車スペースを新設していますので、現在の状況はすでに写真とは違っています。

花祭り写真

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事務所の書類を整理したら昔の花祭りの写真を発見。
撮影日詳細は不明ですが、前の葉書の境内写真と比較すると昭和12年以前のものと推測されます。

花祭りとは??

花祭りは釈迦の降誕を祝して行う法会で4月8日とされています。
本来は潅仏会(かんぶつえ)等と言いますが、明治後期頃から「花祭り」と呼ばれるようになったようです。

花祭りではお堂を花で一杯に飾った花御堂(はなみどう:釈迦が生まれたところルンピニ園の花園を表しています。)を設け、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。その中央に金属製の釈迦の立像を安置し、参詣者が御像に竹の柄杓で甘茶を潅(そそ)ぎ生誕を祝います。

また作り物の白い象の上に花で飾った輿にのせた誕生仏を乗せてパレードします。

本堂改築記念絵葉書

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「絵葉書? 絵はどこ?」と思われるかもしれませんが、これが絵葉書そのものです。判に「大正14年11月27日 浪江 常福寺 本堂改築落成慶賛会記念」とあります。

筑前藩 戊辰戦争 戦没者墓碑

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写真右下には「戊辰戦役官軍戦死者の墓」とある。

大きく「筑前藩(今の福岡県)」、そして9名の名前が刻まれているので、戊辰戦争で戦死した筑前藩士9名の墓と言う事になる。

1868年8月29日、浪江町高瀬で新政府軍と旧幕府軍の戦闘があり、その際に戦死したものと思われます。※詳しくはWikipediaへ

100年以上経った現在でも、福岡県より子孫の方がお墓参りにいらっしゃいます。

ちなみに写真右側手前の人物は「常福寺4世住職 惠教」またその後ろの人物は当時の浪江町長とのこと。

司令官:秦傅義貞
銃 士:上村傅正則、野口藤兵衛一幸
銃 隊:的野大三郎守義、中村四郎太匹明、高原森之助勝義、
荒木多守義幸、川庄成太郎一義
銃 卒:儀平

境内写真(昭和12年以前)

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撮影日詳細は不明。

本堂と庫裏との間が渡り廊下になっている。
昭和12年に本堂と庫裏との間にあった庭に客間を建築して現在の形となっているので、それ以前の写真。

庫裏(くり)・・・僧侶が住む住居、常福寺は寺務所も兼ねる。

門前写真(昭和12年以前)

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撮影日詳細不明。

本堂、庫裏間が渡り廊下形状の為、昭和12年の改築前の写真。
本堂前に石灯籠が2基。対のようだが形状は違う。

門柱についている電球用のアーチがモダンな形をしていますね。
境内に子供が二人。古き良き寺院の風景。

門前写真(昭和12年以降)

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撮影日詳細は不明。

本堂と庫裏の間に客間が増築されているので昭和12年以降の写真。

参拝する檀家の方が映っています。わざわざ写真撮影をしているので何か催しがあったのでしょうか?

電柱に福電昭一三五?の文字

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