常福寺資料館
今となっては資料も乏しく由来の不明なものもありますが、分かり次第説明を追記いたしますのでお楽しみ頂ければ幸いです。※何か情報をお持ちの際は是非お教えいただければ幸いです。
常福寺境内
花祭り写真
事務所の書類を整理したら昔の花祭りの写真を発見。
撮影日詳細は不明ですが、前の葉書の境内写真と比較すると昭和12年以前のものと推測されます。
花祭りとは??
花祭りは釈迦の降誕を祝して行う法会で4月8日とされています。
本来は潅仏会(かんぶつえ)等と言いますが、明治後期頃から「花祭り」と呼ばれるようになったようです。
花祭りではお堂を花で一杯に飾った花御堂(はなみどう:釈迦が生まれたところルンピニ園の花園を表しています。)を設け、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。その中央に金属製の釈迦の立像を安置し、参詣者が御像に竹の柄杓で甘茶を潅(そそ)ぎ生誕を祝います。
また作り物の白い象の上に花で飾った輿にのせた誕生仏を乗せてパレードします。
本堂改築記念絵葉書
筑前藩 戊辰戦争 戦没者墓碑
写真右下には「戊辰戦役官軍戦死者の墓」とある。
大きく「筑前藩(今の福岡県)」、そして9名の名前が刻まれているので、戊辰戦争で戦死した筑前藩士9名の墓と言う事になる。
1868年8月29日、浪江町高瀬で新政府軍と旧幕府軍の戦闘があり、その際に戦死したものと思われます。※詳しくはWikipediaへ
100年以上経った現在でも、福岡県より子孫の方がお墓参りにいらっしゃいます。
ちなみに写真右側手前の人物は「常福寺4世住職 惠教」またその後ろの人物は当時の浪江町長とのこと。
司令官:秦傅義貞
銃 士:上村傅正則、野口藤兵衛一幸
銃 隊:的野大三郎守義、中村四郎太匹明、高原森之助勝義、
荒木多守義幸、川庄成太郎一義
銃 卒:儀平