開催内容 平成22年度(2010)
終了した行事についてどのような行事が行われたのか掲載いたします。門信徒さま以外の方でも参加できる行事がございますので、ご参考にして頂ければ幸いです。
※行事に関するお問い合わせ等につきましてはメールよりご質問頂ければ幸いです。
4月4日(日) 護寺会
護寺会(総会)が開催され、21年度事業の決算報告と22年年度事業の行事と予算の確認が行われました。
4月18日(日)永代経法要 勤修
毎年も山形組 正善寺住職 山田智海先生にお越しいただき、永代経法要について、親鸞聖人の生涯についてお話をして頂きました。
5月23日(日)常福寺仏教婦人会定期総会後の茶話会
茶話会の中から今年度の事業追加として、お仏壇の仏花の活け方を勉強したいとの話しでした。
予定を調整致しまして門信徒にお知らせを致します。
6月21日(月) 相馬組総代会・佛婦連盟総会参加(立野 光明寺)
浪江町立野 光明寺様を会所として相馬組門信総代会総会・相馬組仏教婦人会総会が開催されました。
相馬組(相双地区)から78名が参加。山形組 長福寺住職の田中毅然先生を講師に迎え「『信心の行者』~私が今できること~」をテーマに、阿弥陀如来や親鸞聖人のお話をしていただきました。
写真は相馬組門信総代会総会・相馬組仏教婦人会総会を終えてからの門徒総代研修会と仏教婦人会推進者養成研修会の様子です。
7月11~12日(日~月)東北教区仏教壮年・仏教婦人研修会に参加 宮城郡・松島町
大阪教区・島下組 大光寺住職 清岡隆文先生より「念仏のみぞまこと~世のなか安穏なれ~」をテーマに親鸞聖人の教えに学びながら、さまざまな社会の問題を自らの課題としてとらえ、学んだことを活かして行動・実践することの大切さについて講義していただきました。
7月31日(土) 婦人会主催奉仕作業<境内の清掃>
婦人会の皆さまのご奉仕により境内の清掃を行っていただきました。お盆を迎える前に大変きれいになりました。ありがとうございました。
8月8日(日) 盂蘭盆会法要
食堂でお斉を頂いたの後、本堂にて阿弥陀如来について法話をさせていただきました。
お斉は藤橋・酒田組と田尻組の方々にお斉作りをお手伝い頂きました。
※以下サムネイルをクリックすると大きな画像をご覧いただけます。
9月7日(火) 相馬組『仏教婦人の集い』参加(双葉 光善寺にて)
東京教区麻布組 光善寺より柳川真理子先生を講師にお招きし、「信心の行者」~私が今できること~ を講題に自死問題についてお話を頂きました。
9月8日(水) 2010年度 東北教区門徒総代研修会
仙台別院にて2010年度東北教区門徒総代研修会が開かれました。
「共に生きる道・仏教から真宗へ」をテーマに、講師に東光寺 守 快信 先生をお招きし、「現代社会の課題と宗教」「幸福とは、仏教とは、浄土真宗とは」についてお話を頂きました。
9月16日(木) 安穏灯火(あんのんともしび)リレー 本願寺御影堂出発
安穏灯火リレー(あんのんともしびリレー)は、親鸞聖人750回大遠忌法要をお迎えするにあたっての記念事業として、今秋9月から10月にかけて実施される催しです。
「安穏灯火リレー」は、私たちの心のふるさとであり宗門の要である本願寺御影堂の灯火(常灯明)の分灯を「安穏灯火」として 全国(全教区)を巡回することで、宗門内の一体感を高め、ご法要への思いを深めていただくこと、 さらには、一般の方にも50年に一度の大遠忌法要を知っていただき、スローガン「世のなか安穏なれ」の宗門の願いを社会に発信することを目的としています。
9月16日に本願寺を出発し、大谷本廟から、全国に向けて「北コース」「南コース」に分かれてそれぞれ巡回し、10月8日に本願寺に戻ります。 各地で分灯を迎えた後には、是非とも本願寺の灯火(常灯明)をお寺や我が家にお迎えしましょう。
9月21日(火) 安穏灯火(あんのんともしび)リレー 仙台別院分灯式
9月16日に本願寺を出発した灯火は18に千鳥ヶ淵戦没者追悼法要、20日に札幌別院を経由し、21日に仙台別院に到着。門信徒の見守る中、分灯式が行われました。
今回分灯される灯火は、本願寺の阿弥陀堂と御影堂との内陣の裏の廊下、「後堂」の一角に365日、24時間消える事なく人知れず明りを点している「常灯明」を分けたものです。
この灯火は、本願寺における全ての点火、点燭の原点であり、輪灯、ロウソクはすべてこの常明灯から分灯されます。
仏説観無量寿経には光について「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」≪一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず≫と示され、親鸞聖人は「教行信証」の「総序」に「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」と示されています。
本願寺において点される光は、みほとけの働きを表しており、みほとけに照らされているわたしたちの姿を教えてくださる光となります。
安穏灯火リレースペシャル動画サイト→http://webtv.hongwanji.or.jp/annontomoshibi/
※本願寺からの出発式を始め、各地での法要、分灯式の模様を動画でご覧いただけます。
9月26日(日) 秋彼岸法要
秋彼岸法要を9月26日に執り行いました。法要を始める前に梵鐘を10回撞くのが習わしです。
打物法には「梵鐘は集会鐘ともいい、法要や儀式に先だって、大衆が参集する合図として30分または1時間前に撞く。打数は10回とし、各間隔をゆっくりあけ、余韻がかすかになってから次を撞き、最後の2打は少し間隔を早めて撞く」とあります。
ですから本来は「これから法要が始まりますよー、お寺に集まってくださーい。」という合図として打数10回と決められているのですが、なにぶん鐘楼堂が新しくなってまだ浅いので、「俺もちょっと撞いてみようかな・・・」と大人気。
少々オーバーしてしまったのは御愛嬌。天気に恵まれ、とても良い澄んだ音色が響きました。
左下写真は法要前の準備完了の写真です。なにぶん自分で撮影しているので法要中の写真が撮れなくて申し訳ないです。
今回のお斎は立野・出口組に作って頂きました。
10月25~26日(月~火) 三ケ寺仏教婦人会合同研修旅行 (光慶寺担当)
ゑしんの里・恵心尼公廟所(新潟県上越市)
もともとは「尼僧の墓」と言い伝えられている五輪塔が田んぼの中に建つのみでしたが、大正10年に西本願寺の蔵から恵心尼公のお手紙が発見され、その中に「晩年、七尺の五輪塔を建てた」という記載が見つかりました。調査の結果、地名と当時の七尺という寸法をもとにこの塔が恵心尼公の建立であると判明しました。
また、ゑしんの里がある新潟県上越市板倉は恵心尼公が晩年を過ごした土地とされており、この地域にはお子様方の呼び名となった「小黒」「益方」「栗沢」などの地名がいまも残っています。
現在は親鸞聖人の妻である恵心尼公の廟所として2006年にきれいに整備され、近代的な機能を備えた「ゑしんの里記念館」が併設されています。館内の「ゑしんミュージアム」では、映像や恵心尼公の絵伝を通して、お二人の生涯に触れることができます。
さらに、ゑしんの里の近くにある「山寺薬師」には恵心尼公の父と同じ三善氏の一族が寄贈した三尊仏が安置され、近くにはご子息の栗沢の信蓮房が修行をしたとされる聖の窟があります。
本願寺・長野別院(長野教区教務所:長野県長野市)
建暦年間に越後から関東に向かわれる途中、北信濃に逗留された親鸞聖人に帰依した長野県水内郡見登山城主の和歌月石見守の次男、和歌月重勝が開基となる正法寺を前身とする。
同寺は1580年(天正8年)に長野市内に出て創建され、1636年(寛永13年)に現在の地に移転し、1772年(安永元年)旧本堂が建立された。その後、1925年(大正14年)本願寺の直属となり、本願寺長野別院として現在に至っている。
善光寺(長野県長野市)
善光寺の歴史は大変古く、日本に仏教が伝来した当初、廃仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てられた仏像を信州の本田善光が持ち帰ったことに始まり、その善光の名をとって善光寺が創建された。以来、「善光寺如来と聖徳太子が手紙のやり取りをして、共同で念仏者をお助けくださる」という話も流行し、善光寺如来は生身の阿弥陀さまとして全国から参詣者を集めるようになった。
この善光寺に親鸞聖人が立ち寄った形跡が残る。本堂入り口付近に供えられた一本の松である通称「親鸞松」。聖人が供えた松の形式が今日に受け継がれ、真宗高田派にも同じ生け方が伝わっている。
また、山門をくぐって左、経蔵の奥にある小さなお堂に、聖人が善光寺で滞在された折に残された爪彫りの阿弥陀如来と伝えられている「爪彫如来」がある。善光寺では古来より眼の病を救ってくださると人々に信仰されている。
10月28日(木) 相馬組 『門信徒の集い』参加 (鹿島 勝縁寺)
11月28日(木) 親鸞聖人750回お待受法要・鐘楼堂修復落成法要勤修
11月29日(金) 報恩講法要 勤修
12月 常福寺案内看板設置
1月8日(土) 御正忌報恩講法要
報恩講とは浄土真宗開祖である親鸞聖人は弘長2年11月28日(1263年1月16日)にお亡くなりになっており、本願寺三世覚如が親鸞聖人の三十三回忌に『報恩講私記(式)』を撰述した事が起源であるとされています。
開祖親鸞聖人がお亡くなりになられた日であり、浄土真宗の年中行事の中でも最も重要な法要のひとつで、です。
11月28日にも報恩講法要が行われますが、これは命日をそのまま新暦の日に当てたにものであり、旧暦11月28日、つまりの新暦の1月16日が正しい命日という事で"御正忌"と表され本願寺では1月9日から16日まで法要が営まれます。
今回はスケジュールの兼ね合いから常福寺では8日に法要を行いました。また、お斎は川添組・高塚組の2組にお手伝い頂きました。
3月2日(水) 第2回東北教区仏教婦人会連盟研修会・若婦人門法の集い参加
3月11日(金)2:46 東日本大震災発生 常福寺の被害状況について
2011年3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0の超巨大地震が宮城県東方沖にて発生。それと連鎖するように福島県沖、茨城県沖でも大規模な地震が発生しました。
震度6強というとてつもなく大きな揺れが長い間続きました。
当日住職は仙台別院での会議に出席の為、昼過ぎに仙台に向けて車で出発しており、常福寺に残っていたのは坊守(先代住職の妻)である70代の母親ひとりでした。
強烈な揺れにより立ちあがることもできず、ただ揺れが収まるのを待つしかできませんでした。本堂はもとより庫裏内のあらゆるものが倒れ落下してきましたが、幸いにも周囲だけは倒れてくるものも無く無事に外に避難することができました。また、その後のご近所の方のご協力により安全な場所へ避難することができました。
その頃住職は仙台にて震災に遭遇していました。仙台別院に到着して少したったところだったので、幸いにも沿岸部を襲った津波に巻き込まれることはありませんでした。
住職は揺れが収まると再び常福寺に向けて引き返したのですが、道路の損傷や交通渋滞、また被災地を大きく迂回する必要があったため通常1.5~2時間程度の道のりが8時間もかかり、常福寺に着いたのが夜中の12時近くになっていました。
今回掲載する写真は3月12日に住職が撮影したものです。強烈な揺れにより本堂、庫裏、墓石にも被害が発生しています。
現在住職は仙台別院を拠点に檀家・門信徒の皆様の安否及び所在確認を行っております。
最後になりましたが、東日本大震災により被災された皆様にお見舞いを申し上げますとともに、お亡くなりになられた多くの方々に対しお悔やみ申し上げます。 合掌。